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Vtuberと実在性 -メモ

これから話す事は個人の所感と経験によって導かれた空想であり、過去の論説への帰着などもないので注意されたし。

 

散歩をしていてなかなか自分の言いたいことがまとまったので書き起こす。自分個人の中には四つの実在があり、第00番を非実在非実在、第01番を非実在の実在、同様にして第10,11を定義する。

 

00.非実在非実在

完全な創作として生まれ、この世界との対話を絶たれた存在。自分の中に非実在として捉えられてまたその存在もない。言うなればアニメーションのキャラクターである。

 

11.実在の実在

なんら特筆することのない社会で出会う人間そのものである。自分の中に存在が実在し、その存在がある。

 

描きたいのはここから

 

01.非実在の実在

赤月ゆにはここにあたる。自分の中に非実在として捉えられながら、確実に存在する。非実在然として現れ、非実在然として振る舞い、非実在然として消えていく実在なのだ。赤月ゆには非実在的な振る舞いでありながらして確実に実在する。非実在が実在している。赤月ゆにには実在の生活が存在しないかつ非実在の生活が存在している。ベースになっているのは非実在だが、発せられる言葉一言一句には身近さを感じさせ強く実在を意識させる。

 

10.実在の非実在

実在する人間ベースのVtuberが振る舞うので確かな実在を頭ではわかるが心理的な距離をひしひしと感じる。所謂違う人種であり、見せられる人間像から疎外され、自分個人の中で非実在となる。どれだけ手を伸ばせど実在の人物から現れた像、空虚な非実在をつかまされる。握る先にあるは実在を映した像、投げかけた影であり、強く握るほど手のひらに爪が食い込む。