アニメをみよう となりの吸血鬼さん編 1
Twitter辞めたせいで駄文の書き込み先がなくなった。 外に出したい情報 > /dev/nullになってた。 なので久しぶりに描くことにした。
題材は最近見たアニメにしよう。 Vtuberは楽しいんだけど、結局人間を推してるので疲れる。 元々声優の追っかけとか、μ'sのライブとか行く方じゃなかったし。人間推すの向いてない。
その点アニメは見て終わりだからね。よくてアニメのラジオ聴いたりするくらいだから人を推さなくて済む。 流し見なので適当に紹介するけど悪しからず。
となりの吸血鬼さん
よくある萌えアニメで題材は吸血鬼。全体的に緩い雰囲気で進んでいく。 主人公の灯(あかり)は人形好きの女の子。館を探して迷子になっていたところを館の主人で吸血鬼のソフィーに拾われ、そこに住みつくことに。 灯とソフィー、灯の幼馴染のひなたとソフィーの知り合いの吸血鬼エリーの4人がメインメンバー。たまに灯のクラスメイトとかが出てくる。
吸血鬼にもいろいろいるが最近のアニメだと直接血を吸うのを躊躇うのがよく見られる(亜人ちゃんは語りたいの主人公とか)。ソフィーもその類で血はネット通販で買ってティーカップで飲む。吸血鬼としての弱点はそのまま持ってて日光や流水、ニンニクは基本ダメ。特に日光に当たると灰になる描写がある。 なので基本的に家の中か夜しか行動できない。一応2話で日中に外出するもリタイア。それほど日光がダメなのに何故か7話に水着回がある。
2話で介抱してくれた灯が何故かソフィーをキャリーケースに入れて持ってきてしまう。海に。頭おかしいのか。散々2話でソフィーが体調悪そうな顔してたじゃないか。正直灯が何考えてんのかわかんなくて怖かった。
まだ途中までしか見てないけど、続き見たら続きの感想書くかも。
12月1日における日記
夜桜たまが消えたのが10月8日
牛巻りこが消えたのが12月1日
病気療養らしいけど、大方Vをやめたんだと思う。
気分が沈んだらやる事をルーティン化しよう
みたいなツイートを見て、その時気分が沈んでいたので一時間ほど外を歩いてきたが沈んだ気分はそのままだった。
昨日は少しやる気を出して本を読んだら後はYouTubeを見てた。
今日はYouTubeを見てたら夕方にものすごいやる気に襲われたのでロシア語の勉強をした。
快楽的に過ごしてるせいで1日のうちほとんどが何もできずに終わる。
全部を寄越せと言わないからせめて大部分をやるべきこと、やりたいと感じたはずのことに充てたい。
本当はこんな記事書いてないでやりたい事を、ロシア語の勉強を、x86のエミュレータを、Hello “helloworld"を、Chrome拡張を、FPGAを、CTFを、競プロを、C++を、ブルーバックスや砂漠の狐や3dプリンターやprojectnorthstarを、やりたいはずなんだ。
本当に出会った時は輝かしかったはずなんだ。
つくづく興味の底が浅いことが嫌になる。
憂鬱というスナック
1日を無為に過ごしたことから生じる焦燥感は行動の歩みを止め、安直な憂鬱に手を伸ばす。
行動を起こすことに要求されるエネルギーは日に日に肥大化しやがて動きを止める。
だって憂鬱の方が綺麗で手軽で自己肯定だから
自己否定し、何者でもない状態から「自己否定された自分」を形成しそこにおさまる。その方が安心できるから。不安であること、それ自身が自己を確立する安心となる。不安であることがやめられない。
Vtuberと実在性 -メモ
これから話す事は個人の所感と経験によって導かれた空想であり、過去の論説への帰着などもないので注意されたし。
散歩をしていてなかなか自分の言いたいことがまとまったので書き起こす。自分個人の中には四つの実在があり、第00番を非実在の非実在、第01番を非実在の実在、同様にして第10,11を定義する。
完全な創作として生まれ、この世界との対話を絶たれた存在。自分の中に非実在として捉えられてまたその存在もない。言うなればアニメーションのキャラクターである。
11.実在の実在
なんら特筆することのない社会で出会う人間そのものである。自分の中に存在が実在し、その存在がある。
描きたいのはここから
01.非実在の実在
赤月ゆにはここにあたる。自分の中に非実在として捉えられながら、確実に存在する。非実在然として現れ、非実在然として振る舞い、非実在然として消えていく実在なのだ。赤月ゆには非実在的な振る舞いでありながらして確実に実在する。非実在が実在している。赤月ゆにには実在の生活が存在しないかつ非実在の生活が存在している。ベースになっているのは非実在だが、発せられる言葉一言一句には身近さを感じさせ強く実在を意識させる。
10.実在の非実在
実在する人間ベースのVtuberが振る舞うので確かな実在を頭ではわかるが心理的な距離をひしひしと感じる。所謂違う人種であり、見せられる人間像から疎外され、自分個人の中で非実在となる。どれだけ手を伸ばせど実在の人物から現れた像、空虚な非実在をつかまされる。握る先にあるは実在を映した像、投げかけた影であり、強く握るほど手のひらに爪が食い込む。
精神的な辛さが何に依存するのか
大学生活3年目、人とほとんど出会えないことが辛いことだけど毎日生きてます。偉い。
以下に記す戯言にはなんら医学的な根拠はなく完全に自己分析と経験則に基づくものであり、ここから派生する快感の余事象に対する責任は一切負いません。
精神的な辛さと言うのもの、直近はアイドル部自体が有名になって自分が追わなくてもコンテンツが成り立つようになったこと(もともとそうだが、最近はそれを強く意識してしまった)。
その一つ前は自分の技術力がTwitterにいる有名PGに到底敵わないこと。敵うと想像することすら烏滸がましいと言うのはのすでに通った道。
その前は大学に入学したのにサークルに所属できなかったこと。
本題。 精神的な辛さの原因は現実そのものの事象ではなく、自身の精神状態の悪化ではないかと推察している。
精神状態の悪化を引き起こすものは何か?
毎日のオナニーか? 確かに日を置くと少し回復する節もある。
薬の飲み忘れか? 血中のpHを正常値に保つ薬なのだが、その値の変化が体調不良につながっているのかもしれない
食生活の乱れか? 毎日揚げ物高血圧よりりんごやキャベツを取れているときのほうが確かに明るくなる
上記3つ、正常であっても精神が変調をきたしていることもある。
結局、最も合理的な結論は「周期」であった。躁鬱病というものをご存知だろうか。双極性障害という名もあるらしいが、「周期」的に気分が浮き沈みする症状のことを指すらしい。
過去、周期的に気分が沈み、希死念慮に苛まれ、体に力が入らなくなる時期と人間が変わったようにプログラムを組み、イベントに参加し、アルバイトにも応募した(貴君にとってこれは当たり前かもしれぬが親の愛情に甘やかされて育った身としては大いなる行動なのだ)時期を交互に繰り返していた。
何回も言うがこれは自己診断であり、自分は全くの健康体、憂鬱気味なだけの人間なので戯言だと思って聞き流していただきたい。しね。
人の頭を覗くな
ADHDへの理解を求める運動が広がり、ADHDを自己診断した人間を叩く風潮ができてから数年
肥大化した自意識は背に立ち自己を理想にねじ込む。 みえすかしたようにばかにしたその顔は もうおれのいいたいことがみえている
夜中信号を無視して渡ることもできない 町中で携帯を弄るために立ち止まることもできない
自分に監視されてる